建築が好きだった私が、えんとつ屋になるまで
こんにちは。
山のえんとつ屋の代表、斉藤です。

「どうして煙突屋になったのですか?」
お客様からよく聞かれます。
実は、子どもの頃から煙突屋になりたかったわけではありません。
建築が好きでした。
ものを作ることが好きでした。
そして、漠然とですが、いつか海外で仕事をしてみたいという思いもありました。
今振り返ると、その一つひとつが少しずつつながり、現在の山のえんとつ屋になっています。
建築への憧れ
高校卒業後、英語を学ぶために関西外国語大学へ進学しました。
将来は海外で仕事がしたい。
そんな漠然とした夢があったからです。
しかし、大学に通ううちにこれでは英語の上達はありえない、大学に通うことに何の意味があるのだろうかと考えました。
そこで大学3年生の時に職業訓練校の建築科へ通い始めました。
大学4年生では再び大学へ戻り、なんとか無事に卒業しています。
少し遠回りではありましたが、この頃から建築への思いが強くなりました。
大工になった理由
大学卒業後は工務店へ就職し、大工として働き始めました。
当時の考えは、とても単純でした。
「いつか自分の家を自分の手で建てたら何千万もする借金を背負わなくと良いのでは?」
そんな思いだけで毎日仕事をしていました。
しかし、様々な理由から一人前になる前に退職することになります。
今思えばもう少し頑張ればよかったなと後悔もしてます。
それでも、「自分の家をつくりたい」という思いだけは消えませんでした。
実家へ輸入した薪ストーブ
実は、海外から薪ストーブを輸入したのは、自宅の古民家よりも前のことです。
大工として働いていた頃、実家へ薪ストーブを設置したいと思い、ニュージーランド製の薪ストーブと煙突を個人輸入しました。
当時は円高で、海外製品も今よりずっと身近な価格でした。
これが私にとって初めての輸入であり、初めての薪ストーブ施工でした。
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設置すると、一番夢中になったのは父でした。
薪割りを趣味のように楽しみ、インターネットで薪を販売するほど薪づくりに熱中していました。
その姿を見て、薪ストーブは単なる暖房器具ではなく、人の暮らしを豊かにするものだと感じました。
公務員時代と古民家
その後、大工を辞めて実家へ戻り、約2年間アルバイトをしながら独学で二級建築士の勉強を続けました。
その後、公務員となり、学校用務員として働きながら建築士の資格を取得しました。
建築とは直接関係のない仕事でしたが、今思えば、この時間は私にとって非常に大切でした。
花壇を整備したり、草木の手入れをする合間に、他人の子供の教育を傍から観察してきました。
また私たちの6人の子どもたちと過ごす十分な時間がありました。

休日には築160年の古民家を少しずつ移築・再生しました。
15年以上かかりましたが、自分で家を作りたいという夢を形にすることができました。


英語だけは続けました
建築の仕事から離れても、英語だけはやめませんでした。
Audibleで、日本語でも読んだことのある小説を英語版で購入し、同じ作品を何十回、何百回も仕事中にも繰り返し聞きました。
仕事は一人作業で頭を使うことも少なく仕事中に聞くことは何も問題ありませんでした。
当時は、何の役に立つのか分かりませんでした。
でも今では、中国メーカーとの商談や品質改善、オーストラリア人プログラマーとの開発など、ヨーロッパの展示会での交渉など毎日の仕事で英語を使っています。
人生は、本当にどうなるか分かりません。
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えんとつを四回作り直しました
古民家へ薪ストーブを設置した時、最初に設置した一重煙突には満足できませんでした。
煤ですぐに詰まってしまい家の中が煙だらけになり何度も煙突掃除が必要でした。

二回目は必要性にかられ自分で断熱二重煙突を作り始めました。
亜鉛メッキが高温で溶けて防錆の効果がなくなり、数年で錆びて折れました。

3回目は性能は良かったものの、見た目がきれいではありませんでした。

4回目で、中国製断熱二重煙突と出会いました。
最初は疑っていました。
しかし、品質を確認し、工場へ足を運び、改善を重ねるうちに、
「これなら日本のお客様にも自信を持って勧められる。」
そう思えるようになりました。

井戸も二回失敗しました
家づくりでは、水も自分で確保する必要がありました。
最初は電動ブレーカーだけで一人で約7mの井戸を掘りました。


水は出ました。
しかし冬になると水不足になり、また大雨の後はお風呂で自分の足が見えないほど濁ることもありました。
もっと深い井戸を掘ろう。
そう思い、中国から井戸掘り機を輸入しました。
大型商品の輸入を経験したいという思いもありました。
しかし、約7mで硬い岩盤に当たり、二回目も断念しました。



水はある。
でも本当に良い水は、その岩盤の下にありました。
数年前、煙突のお客様から井戸屋さんをご紹介いただき、100mの井戸を掘っていただきました。

今では、その井戸水だけで生活しています。
お金はかかりましたが、一生の宝物です。
私は今でも、この井戸を見るたびに思います。
本当に価値のあるものは、簡単には手に入らない。
コンテナ一台が教えてくれたこと
輸入も最初からコンテナではありませんでした。
少量輸入から始め、税関へ通い、担当の方に相談しながら少しずつ覚えていきました。

日本のYouTubeも何度も見ました。
ただ、多くは途中から有料講座になります。
そこで英語のYouTubeを見るようになりました。
世界中には、自分の経験を惜しみなく公開している人がたくさんいました。
工場の探し方。
品質確認の方法。
交渉の考え方。
商品選び。
日本語では得られない情報が、英語では次々と見つかりました。
もちろん、日本国内の通関手続きは日本の制度なので、ネット記事や日本の税関の方や業者の方に頭を下げて教えていただきました。

そして迎えた初めての20フィートコンテナ。
輸入検査あたりました。
トレーラーの手配。
検査でのコンテナの開封。
港の保管期限との戦い。
何もかも初めてでした。
それでも、一つずつ経験し、一つずつ覚えてきました。
正直前日は心配で寝れないことも多々ありました。

学ぶ側から、伝える側へ
仕入れ方法も輸入も、多くの方が公開してくださった情報のおかげで学ぶことができました。
だから今度は、自分が教える側になりたい。
その思いでブログを書き、YouTubeで施工方法を公開しています。
「そこまで教えたら商売にならないのでは?」
と言われることもあります。
でも私は逆だと思っています。
知識を公開してくださる方がいたから、今の自分があります。
だから私も、自分の経験をできるだけ分かりやすく伝えたい。
その積み重ねが、安全に薪ストーブを楽しめる方を増やすことにつながると信じています。
次の挑戦
現在は「煙突ビルダー」の開発を進めています。

まだ完全には完成はしていません。
オーストラリアのプログラマーと協力しながら、お客様が図面を描かなくても煙突を組み立てられるようなシステムが出来上がりつつあります。
近いうちにAIも組み込み煙突診断機能を取り付け、さらに使いやすいものへ育てていきたいと考えています。
まだ開発途中ですが、それでいいと思っています。
これまでも、完成したものではなく、試行錯誤の積み重ねが今の山のえんとつ屋を作ってきました。
この物語は、まだ途中です
私は特別な才能がある人間ではありません。
どちらか言うと世界の片隅で目立たないように生きてきました。
ただ、興味を持ったことは、納得できるまで続ける性格です。
建築も。
英語も。
古民家も。
薪ストーブも。
煙突も。
輸入も。
どれも最初からできたわけではありません。
一つずつ学び、一つずつ積み重ねてきました。
人生は本当にどうなるか分かりません。
だからこれからも、新しいことを学び、その経験を皆さんと共有していきたいと思っています。
この「煙突物語」も、会社と一緒に少しずつ続いていきます。
10年後には、新しい章が増えているかもしれません。
その時も変わらず、「学び続ける姿勢」を大切にしていきたいと思っています。
